審神者を審神者たらしめるものとは一体何なのだろうか。
血筋なのか、人ならざる力なのか、畏怖という名の支配力なのだろうか。はたまたその他運命の悪戯により選ばれたというだけの可能性論の先にあるものなのか。

審神者―眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる技を持つ者―と呼ばれ、そう役割づけられている己にとってもそれは非常に曖昧な定義付けしか持ち合わせていなかった。たまたま先祖にそのような珍しい者が居たらしいと聞き及んだことはある。たまたま人とはちょっとズレた感覚と勘の良さを持ち合わせていたことも自覚こそ薄いが認識はしていた。それが原因なのかどうなのか、よもや御国の目に止まりこのような役回りを持つことになるなどとは想像もしていなかった。それほどに今という時間に馴染むことはなく、またこの空間も非現実的なものとしか捉えられずにいた。

審神者を審神者たらしめるものとは一体何なのだろうか。
付喪神たちに人の形を与え、御国の命を忠実に遂行するように命じることが出来る力なのか。敬意と畏怖の対象としての主君として彼らを忠誠を誓わせることであるのか。物に心が宿るのなら、其れ等にだって好き嫌いだの分別だのもあるのだろうと彼女は考える。ならば、今の環境を与えた自分の存在は彼らにとって「善し」と受け取られているのか、または「悪し」と受け取っているのか。喉に刺さったままの魚の小骨のように異質で無視も叶わぬ感情に支配され続けている。

「ぬしさま」

文机から声の方へ顔を上げると、見慣れたシルエットがそこにはある。どうぞ、と一言呟けば勝手知ったると言わんばかりに戸を引き、スルリとそれは音もなく入ってきた。

「どうしたの小狐丸。何か問題でもあったのかしら」
「いえ。たまたま前を通りましたらあまりにもぼんやりしてらしたのでお暇なのかと」
「…別に」
「おや、そうですか」

あまりにも素っ気ない返しだったろうかと彼女は声にしてから一瞬考えたが、目の前の男、小狐丸はさして気にした様子もないように見えた。何より言われたように確かに時間を持て余してはいたのだ。遠征に向かわせた数名の帰還を待つ間に目を通そうと手にした書簡はとうに読み終わり、あと一刻もしない内に戻るであろう彼らへの今後の指示を考えていた最中に感傷に浸るだけの余裕はあったのだから。

「最近春になって風が心地よくなってきたせいもありましょう」

そう言いながら男が後ろ手に閉めていた障子の向こうに見える外の風景は、歴史修正主義者なるものとの戦が続いている世界とは同一視し難いほどにあまりにも隔絶された穏やかな光景であった。水中の魚たちはゆるりと箱庭での生活を愉しみ、その横に植えられた桜は水面にその姿を大写しにして誇らしげに咲き誇っていた。男が歩を進めるのに合わせてそよぐ白髪の先を追うと、桜の花びらと流れる毛先がふわりと触れる様が、更に軍場であるという現実と隔絶された現状との乖離感を演出しているようにすら感じる。

「ねぇ小狐丸、ちょっと質問をしてもいい?」
「ぬしさまのお言葉なら。なんなりと聞きましょうぞ」

目の前によいせと腰掛け、こちらを見ていた小狐丸に言葉を投げたのはほんの気まぐれであった。常であれば審神者と付喪神との立場の違いを何よりも念頭に置いて行動していた彼女がこのような興味に押し負けるなど、ほんの気まぐれでしかなかった。

「貴方や貴方たちは新たな生を受けたことをどう思っているのかなって」
「どうと申されますと、」
「そのままの意味よ。それなりの願いや想いがあって貴方たちは付喪神となった。神に近いものに至るだけの想いがあったのだもの。仮に人になることを望んだ者があったとしても、成し遂げたいことの先に今のような可能性はあったのだろうかと考えることがあってね」

それは嘗ての主の死を飲み込んでまで遂げたい想いなのだろうか。
そのような残酷な言葉を続ける勇気はなかった。小狐丸はまだしも、書物を通してではあるが嘗ての主の行く末とその最期を自身が知っている者たちには問うことすら許されぬ悍ましい言葉である。だからこそ内番も居かず人気もなくなった本丸で護衛としてただ一人残ったこの者にしか聞けぬ機会を逃したくないとも思った。

「ぬしさまはこれまた難しいことを考えられますな」
「そうかなぁ。でも割と最初の頃から思ってたんだよね」
「それはつまり、加州を手にした頃からということでしょうか?」

最初の近侍の名を出され、続く言葉が出なくなる。罪悪感が分かる形で出たのか、小さく飲んだ息の音を聡く聞き分けたのか、常にないほどに感情を露わにした主の様子に小狐丸は小さく驚いた後コロコロと笑い、一息を置いて答える。

「我らはこのように肉を持ち、血潮を持ち、人の真似事をするになった。それは我らの願いもあれど、ひとえにぬしさまが我らを必要としたから。そのお声に応えただけ。ただそれでいいではありませぬか」

向けられた視線の強さに慄き思わず逸らしたくなったが、目の前の男を裏切る行為に等しいと捉え、震える手を強く握り踏み止まる。
ただそれだけで善しとしようではありませんか、と更に小狐丸は重ねる。人気のない本丸全体に態とその声を響かせるように染み渡らせるかのように男の声は響き、そして彼女の心へと届けられる。まるでそんなもの詭弁だと思った。 自己正当化に都合のいい言い訳。そうでもしないと彼女の心は保たぬとでも思われているのかと憤慨もしたかった。だがしかし、

「…重いわね」
「ええ、想いというのは重いのです。その重さが我らに人形(ひとがた)を取るに至らしめ、その想いと願いの大きさをぬしさまが汲み取って拾い上げただけのこと」

零れた言葉は何の飾り気もなく、ただ彼女の心情を救いの道へともたらす言葉。
いつの間にかこちらへ伸ばされた手が己の手に重ねられる。未だ震えていた手が驚きで一瞬跳ねるが、柔く包まれた温かさに、波のように怖れは引いていく。元は刀であったであろうそれは、形、温かさ、大きさ、全てが今は人と見紛うばかりであった。否、確かに人としての型を与えたのは自身だ。彼女が与えた肉に彼女が与えた血を纏い、そして触れている。

「小狐ではありますが、大きいのは図体だけではありません」
「器も大きいとでも言いたいのかしら」
「そうでありましょうぞ。何しろぬしさまの欲した願いが私であり彼らなのですから」
「私の願いの形…」
「ええ。他の者のことまでは知りませぬが、この小狐丸、ぬしさまに呼ばれたことは大変誇りに思っております。そしてこの新しい命とぬしさまの願いに見合うだけの生を送ってしんぜようと常日頃思い、こうして毛並みを整えております」
「毛並みは関係ないよね」

くすりと笑いを零しながら答えれば、満足したように小狐丸は頷き、緩く握り直した手を持ち上げる。惹かれるように面を上げて追うと、逆光でやや見えにくくなっている男の輪郭と恭しい所作に、まるで何かの儀式でも受けているような神聖さを受けた。

「これがぬしさまが下さった眼、これはぬしさまが下さった頬。そして、これはぬしさまがくださった腕にございます」

その感触を確かめさせるように次々と手を運ばれ、操り人形のようにただ引かれるままに伸ばされた先に触れる。触れた質感、温度、血潮の音。確かにそれは今ここにある現実であった。そこが壊されても彼らと自分ではその意味合いは違うのだろうが、でも確かにそこは小さな音を立て、存在を示している。
それは酷く淡い時間であった。そこに確かにある感触を知る時であったはずなのに、現実味が欠如した時間の曖昧さ。

最初の問いからどれだけの時間が経ったのか、何処からか帰投を知らせる声が聞こえた。どうやら遠征組が戻ったらしい。徐々に人の気配が増え空間が華やいでくるのを感じ、近づいてくる複数の足音と騒がしい声に耳を傾けながら、触れた指先、柔らかく己の手を包む体温を愛おしさとともに妙に離れ難いとすら感じていた。


「そしてこれが私が授けた心」

そう言って最後に指を伸ばしたそこは、その願いに呼応するかのように大きく波打つ。