がザンザスに初めて会ったのは、六の頃、当主である母に連れられて"ボンゴレのおじいさま"に挨拶に行った時のことだった。
六にもなるとそこそこの分別は付く。人間社会における重要な知識もそこそこ身についてくる。
特に彼女は特殊で特異であった。
彼女は女では会ったが、"彼"であると同時に"彼女"でもあった。男としても女としても同時に生きていく、そう定められた人生。
決めたのは当主である彼女の母でもなかった。父でもなかった。祖父でも、前の当主の祖母でも、もっと前の当主の會祖母でもない。もっと先のもっと前の写真などあるわけもない時代の人たちでもない。強いて言うのなら、神様が決めたのだ。
彼女の家には男が生まれない。それは遠い昔の小さな小さな罪から生まれた呪いであった。小さな罪はやがてむくむくと膨れ上がり、彼女の母の前の前の気の遠くなるくらい前の、当時は男であった当主やその家族たちに大きな罰を与えた。女系一族としての呪い。男の生まれない家。
時代が時代ならば、それは由々しき問題であった。しかし、生まれなくとも家は血は守らねばならぬ。それ故に男性は婿を迎え入れ、今まで彼女が生まれるまでずうとそうしてその一族は血と絆を紡いで生きてきた。
女性の尊厳が軽んじられる時代であろうとも、それは守られた。
否、女性の尊厳が軽んじられた時代であるほどに彼女の一族たちの力は強かったのだ。ただ、生きたいと。血を絆を紡ぎ続けたいと。




「いいなずけ、いえ、マンマ、わたしとぼく、のろい」

"ボンゴレのおじいさま"はの母と大切な話があるらしい。
大切の中身を彼女なりに知っていたは特段興味を持つことも拒絶することもなく、「僕はお庭で遊んでるよ。マンマ、ボンゴレのおじいさま、いいでしょう」と一言だけ投げおき、そして屋敷裏の大きな薔薇園の真ん中、大きな大きな樹の下へやってきて膝を抱えて蹲っていた。
照りつける日差しを遮る木々の悠然とした姿と葉が風に靡く音に、出処の分からぬ苛々が優しく静かに押し戻される。
所謂体育座りのまま顔を膝に埋めて地面を見つめると、足の影で蟻たちが必死に何かを運んでいる姿が目に入った。
常ならばそのようなものなど気にもせず足を動かすところだが、彼らも必死に血を紡ごうとしているのだろうか、そう思うとどうにも今の自分を見ているような気分になり、そっと地面へ垂れていた長い髪を避けて彼らへ道を譲った。
掟にしたがって憎たらしく思いながらも長く伸ばされていた髪だが、木漏れ日に己が白髪が反射する様はちょっとした宝石のようで彼女の自慢でもあった。

「―――おい」

ふいにかけられた声によってスイッチを入れられたかのように膝にぴったりとつけていた額を離す。
初夏のやや汗ばむくらいの気温の日であったので、は汗の接着剤が剥がれた皮膚の嫌な音と痛みに眉を寄せながら顎を上げる。

「おい、お前。ここで何をしている」

光が声の主の姿に黒いベールをかけていたので、顔を上げた先の人間の顔はわからない。ただ、声だけが自分より年長だと、影だけが自分より少し片手ほどしか年の離れていない男だと彼女へ教えた。数mあるかないかの距離感であったのに、座っていた彼女には彼がとても大きな見えない何かを背負いこんでいるように一瞬思えた。

「…何って僕のこと?」
「お前以外誰がいる」

ここはボンゴレの屋敷だぞ、物を知らぬ子どもへ馬鹿にするかのように付け加えられた言葉に、の小さな体の中の大きな自尊心は酷く傷つけられる。

「知ってる。僕だってマフィアのボスの家に丸腰で来るほど"scimunito"じゃないよ、お兄さん」

随分な汚い言葉を投げかけたにも関わらず、目の前の男は眉をピクリとも動かさなかった。

「わた…僕はね、今すこし考えていたんだ」

人生について。
そうが付け足すと男は何がそんなに面白いのか口元をぐにゃりと曲げ、酷く馬鹿にしたような笑い声を零す。

「その年の人生なんざ、随分小せぇことでも考えてるんだろうな。親か、天気か、それとも明日のテストの心配か」
「そんなんじゃないよ。だって僕はいいなずけと結婚する訳にはいかないんだ」
「許嫁…何故だ。それはお前がどうこう出来る問題でもないんだろ」

彼がその言葉と同時に一歩前へ足を踏み出そうとすると、

「だめ!!!」

どこからそのような声を出したのか、今までのポロポロと零すような喋り方とは全く違う声色にピタリと彼は足を止める。
薄い膜の向こう、若しくは半透明の人間のようなそれくらい気配が感じられなかった目の前の彼女、からは想像も出来なかった声であった。無視をすれば歩を止めずに済んだのかもしれない。しかし、その声は地を離れ踏み出そうと空にあったザンザスの足をその場に縫い止め、確かに押し戻した。

「だめ、みんな血を紡ぐのに生きてるんだ」

そう言ったっきり、の視線は地面へ続いている蟻たちの黒く細い長い行進へ縫いつけられる。

「血だ絆だって、何でそんなものにお前は固執する」
「……だって僕と一緒なんだよ。そのためにしかこれも私も生まれてこなかった」

そうか、だからこんなにも苦しいのか。一人は納得する。
血、血、の家の血。それに縛られることについてを今理解し始めた自分と、縛られることを受け止め生きている母と、縛られ受け止め生きた祖母とその前の当主たち。そうだ自分たちは血に四脚を縛られ、体中を絆で結ばれた人形なんだ。
全身の血という血を全て出しきってしまいたい。絆なんて知るものか。学校でも家の名前を知るや友達なんて出来なかった。
"呪われたの跡継ぎ"、そう呼ばれ囃し立てられるだけの日々。
全身の血という血を全て洗い流してしまいたかった。
そんなことをしたら死んでしまうのは六にもなれば彼女にも当たり前だがわかっていた。

「…それでも」

それでも

「僕は抗わなきゃいけない」

こんなこと、

「僕の家族を守るためにも、貰われる訳にはいかないんだ」

こんなこと自分で終わりにしたかった。
告げた言葉は少女の瞳に小さな火を灯し、やがてそれは強い決意へと変えていく。
噛み締めていた薄く柔らかいピンクの唇には真っ白な犬歯が刺さり、真っ赤な血が滲んでいた。

「僕は守りたいんだ!マンマとパパーとお屋敷のみんなを、それから僕を」
「…そうか」

そう言ったきり、青年は黙ってしまった。も先の言葉を最後にまるで言葉など忘れたかのように、頭の中が真っ白になっていて、互いに動くこともなく、そのまま黙る。
突きつけられた現実は確かに事実であった。自分でどうこう出来る問題ではない。相手の家、しかもあの大ボンゴレが関わることなのだ。
自分の考えていることなど一蹴されれば可愛いもので、もしかしたら守ると決めた家族すら消え去ってしまうかもしれない。
しかし時代は変わったのだ。もう家を重んじることも、血を重んじることも過去ほどの重要性はなしていなかった。
平和にもなった。武器輸出を裏稼業としていたの家も今ではただの家具輸入会社である。裏稼業の仕事などいつかに祖父から聞いた昔話と比べたら微塵もないことも、難しいことはわからぬ彼女でも肌では理解していた。
なのに母はそれを良しとはしなかった。母としての決意よりも当主としての歴代の当主たちの決意を重んじたのだろう。
泣きそうな声でを抱きしめながら「男の子に産んであげられなくてごめんなさいね、私の子どもでごめんなさいね」と言う母の背に、両手を必死で回し、届かぬ己の両手を必死に繋ごうとしながら母を抱き返したこともあった。それでもは諦められなかった。
マンマをこれ以上苦しめたくなかった。泣くマンマの頭を撫でるパパーの顔も見たくなかった。写真の中のたくさんの女と少しの男の笑顔の裏にあった苦悩と同じ物をこれ以上生み出したくはなかった。

「ねぇ、」

視線は小さな命へ向けたまま、は言葉を思い出す。

「君には出来るの?」

何が、などというのはこの場では野暮な単語であった。
ただ出来るか出来ないか、目の前の男ならなし得る可能性だけを今の彼女は欲した。

「俺ならしない。俺は誰の指図も受けねぇ。じじいからもだ」
「なら、それと一緒だよ。僕もさしずは受けないの」
「俺は誰のものでもねぇ。だから俺のことは俺が決める、だって俺の名は、」
「うん一緒、じじいと戦うのと僕が血と戦うのは一緒」

ザンザスの言葉を遮り、ニィ、と口の端が持ち上がる。途端、半透明にしか思えなかった彼女の存在に色が加えられたことにザンザスは驚いた。
先程までその目に止まっていたのは白い歯と赤い血と唇、そして小さく火を灯し始めた目だけであったのに、意識した途端に見えた彼女の姿は白く何物にも穢されていない長い髪と、それが地面の草花の間を風によって靡いている非現実的な色の対比であった。
そして歳相応の少女の脆い首と腕の細さと、それに釣り合わぬ強い決意の色をきらきらと燃やしたアメジストの猫目。
喜びを携えた声色と頬の色とは反比例した引き攣り気味の表情は決して作り物などではなく、彼女が笑うという行為に慣れていないことを如実に表していたのを、その存在の色全てを見出した瞬間、ザンザスは何となくだか理解することが出来た。

「ねぇ、僕たち一緒なんだね」
「…うるせぇ」
「一緒、一緒。じゃぁ僕、お兄さんに誓うよ。僕は家族を守るから、お兄さんは自分のために一生懸命戦ってね」

酷く弾んだ声で奏でられる。

「知るか」
「ねぇ、約束。折角嫌なところに来たから良い約束でもしておきたいんだ、お願い」

仲間を見つけたことが嬉しいのか、弾んだ声で譫言のように約束、約束と紡ぐ唇を見る。薄いピンクに乗った覚めるような赤。
綿菓子のような夢物語の約束の上に乗っかった、避けられないであろう現実。そして目の前の少女が突きつけた約束。

「…ああ、てめぇ…が破らない限り俺はそれを守ってやる」

何故自分の名前をこの男の人は知っているのか、それに即座に疑問に持つことは六という年には些か無理ではあった。




それはそれはとても残酷な約束の昔話。
ザンザスと、ボンゴレと呪われたの家。
が当主となった時、二人は結婚をすると彼らの親たちが約束をした日と同じく交わされた小さな残酷な約束の昔話。