幾度となく体験してきたが、このような場面に立ち会う度に、人というものの生とは何と儚いものかと思う。



室内に響く小さな咳の音。いつぞやに比べれば格段に間隔も短く、落ち着いたように聞こえるその音、まるで彼女の命そもののを動力としていたかのような行為が、日々弱く小さなものとなっていく。あれだけ煩わしいと思っていたはずの音が、今では生そのものをひいては彼女そのものを象徴していたかのように感じる。

こほっ。また咳一つ。
こほっこほっ。今度は二つ。
三度(みたび)と続くとその青白い顔は苦痛に歪む。
しかし、その顔が得体の知れない何かに彼女が毅然と立ち向かっているかのようで、骸はとても好きだった。

一つ前での彼女の最期はなんだったか…確か事故であったような。その前は…もう忘れてしまった。というより思い出したくない。何度迎えようと最期というのは決していいものではない。

この魂は肉体が朽ちようが、また生を受ける定めとなっている。
幾度も繰り返してきた。贖うことの叶わない定め。彼自身、それは既に受け入れているつもりだった。
しかし彼女はどうなのだろうか。
自分でもわからなくなるほど繰り返し、体験してきたその行為について彼女にはその記憶はないのだろうが、骸自身は何度も彼女を探し出し、そしてまた彼女の側にいることだけを望み、叶えてきた。


「次は何処で会えるのでしょうね。」


そう呟き、以前は薄紅色をしていた彼女のすっかり痩せてしまった頬をみる。
次は何処で会えるのでしょうか一緒にいられるのでしょうか僕を見てくれるのでしょうかまたこうして貴女の最期を看取れるのでしょうか。
手には庭に咲いていたレモン。何故か知らないが持ってきてしまっていた。




「次は…そうね。桜。桜がいいわ。桜が咲いているところで会いましょう。今年はお花見が出来なかったでしょ?」

蚊のような声で彼女が呟く。自身が見せている幻覚なのか先程までの苦痛は消え去り、まるで以前のような聡明で明るいままの彼女の姿に映っている。もう辛くはないのかと聞くと、何だかいい匂いがしたからと、ころころと笑う。あの音は生の足音は聞こえない。

「桜、ですか?」

「そう。桜。約束だよ。」



絶対にまた探してね。
そう小さく、しかしまるで乞うような彼女の口ぶりに骸は、彼女はこの生以前のことなどないはずなのになどと思うこともなく、ただただ頷いた。次は桜。






そう。次は桜。これだけは忘れてはならない、と在りし日の彼女の笑顔を見ながら誓う。

(レモン哀歌/高村光太郎)