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「春一番なんていかにも暖かそうな名前の風なら、もっと名前に沿った風を運んでこいよ神様の馬鹿野郎ー!」 は自宅へ向かう電車を待つホームで寒さに震えながら己の心に溜め込んだ鬱憤を叫んでいた。 暦の上では既に春が来たというのに本日の気温は昨日までの暖かさが幻覚であったかのようにとびきり寒い日のこと。神様の裏切りとでも言うべきこの気温の中、彼女は風が吹く度に「ひぃ」だの「ぎゃぁ」だのと悲鳴であるかすらわからぬ声を出しながら、マフラーに鼻から首までの顔半分をすっぽりと埋め込み、左右の手は只管に赤くなった太ももを擦っていた。 天気予報など当てにはならぬと右から左へとアナウンサーの若い女が言っていた忠告を完全無視したバチが当たったのだろうか。こんなことなら戯言の一つでも聞いといてやればよかった、と一瞬でも考えたりしたが、後悔はやっぱり後にも先にも立たないものなのであった。 「あー寒い寒い寒い寒い!何とかして草壁!」 「俺にどうしろと言われても困るんだが…」 「うっさい!口答えするな!」 「…」 「ちょっと、黙ってないで何か言いなさいよ!喋りでもしてないと電車が来るまでに凍るじゃない」 「口答えするなとか喋ろとかお前は一体何がしたいんだ……というか、一つ言いたいのだが。今日の気温以前に寒さには主にお前自身の問題があるだろう」 「何だそのスカートの短さは。というかコートはどうしてお前は」などと口には出さずとも彼の視線がの格好について咎めるように訴えていた。 寒さに震える彼女の隣には、草壁と呼ばれた男が一人立っていた。コートから靴、制服まで全身黒尽くめ。ついでに立派なリーゼントもついている。この色も勿論黒だ。真っ黒。そんな黒一色の男は、先程から己の隣で騒ぎ立てるに溜息をつきながらも、どうも無碍にすることも出来ずに彼女の八つ当たりに付き合っていた。それはクラスメイトとしてのよしみか、単に帰路が同じものとしての付き合いなのか、他に何かあるのか。 草壁本人にも面倒ごとに自ら巻き込まれるというその真意は理解出来なかったが、ただ何となくが心配でならなかったのは彼も心の中では認めていた。 しかし、先程の視線に件など、まるっきり娘を心配する母親のそれでものであったことは、彼の名誉のためにもここだけの話にしておいた方がいいかもしれない。 「わ、私は悪くないわよ!第一、昨日まであんなに暖かかったのにこの寒さはなんなのー!?」 「天気予報ではどこも煩いくらいに冷えると言っていたろう。ちゃんと観たのか?」 「天気予報なんて、私が他人の言うことに何で振り回されないといけないの?知らん奴の言うことなんて聞けるわけないじゃない」 そうスッパリと切り捨てたに、草壁は本日何度目になるかわからぬ溜息を盛大につくしかなかった。 携帯で確認した通りだと、電車が来るまでとあと10分と言ったところだろうか。 どうやら事故があってこの路線は遅れているらしい。そんなことを知らずに帰路へ着くべく改札を通ってきた二人を待っていたのは、寒空の下へ放置されるという何プレイだと突っ込まざるを得ない状況であった。最悪なことにこの駅には待合室なんて乗客への気遣いに満ちた場所などなかった。 ホームに入ったら最後、電車が来るまで線路と改札に挟まれたこのホームと言う劇場でまるでコミックのような滑稽なる喜劇をこの煩いクラスメイトと演じねばならぬ。もしかしたら、これは草壁に本日与えられた試練なのかもしれない。本人は決して望んではいないが。 「ねぇ、草壁…今の私、腹巻きを手に入ることが出来るなら札束積んでもいいって思えるような心境だよ…」 「寒さのあまり現実が直視出来なくなると、人間はそこまで妄想が進むのか」 「…まるでマッチ売りの女の子が暖を求めてマッチを擦りながら考えたような私の素敵な想像をバッサリ切りやがったわね。流石草壁」 「いや、まぁ、どうも」 「褒めてないわよ!何なのよもうー」 普段から煩いも段々と疲れてきたのだろうか、時間の経過と共に徐々に言葉になってきていた。 最初とは打って変わって殆ど黙ってしまったを草壁が横目で見ると、その体は微かに震え、見ているこちらにまで寒さが伝染しそうなほどに酷い状態であった。目元にはうっすらと涙が浮かんでいる。マフラーに覆われた口元はわからないが、十中八九普段の赤さなどわからぬほどに寒色になっているだろうことなど、容易に想像出来た。 「なぁ、」 「何よ。今電源最大にしたコタツの中でミカン食べながらジャンプ読んでる妄想してるから邪魔しないで」 「折角の妄想中に悪いんだが、俺も寒いから上着は貸せないが代わりに一つ提案が」 「何何?何か言い方法でも考えた!?」 「あぁ一応な。お前は動くなよ」 そう言った草壁を問う暇もなく、すぐに己の後ろに回りこんだ彼に驚いたが動きを取れずにいると、ふいに肩口から黒いコートに包まれた手が伸びてきて己を包み込んだ。 「え、ちょ、」 「これで暖かいだろう」 「なななななななな何やってんのあんた!?」 「いや、寒いなら互いにくっつけば暖かろうと思ってな。どうだ?」 「「どうだ?」じゃないわよこの変態!何よ!どけろよお前!」 「本当にいいのか?これで少なくともさっきよりは寒くはないはずだが?」 「…!!!さては草壁、あんた謀ったわね!?」 「さぁ、何のことかな。おい、どうした、お前首まで真っ赤だぞ」 そう草壁が言うや彼は鳩尾に鈍い痛みを覚えた。 今のからのささやかかつ精一杯の反撃に「ぐっ…!?」と声にならぬ声を出してしまったが、どうしても彼はその手を離す気にはならなかった。 寒空の下、ホームにある人影は真っ赤になって俯く彼女と機嫌よさそうに彼女を後ろから抱きすくめる彼だけ。 さぁ、電車が来る終演までの間、二人で楽しい喜劇を始めようではないか! (2009/03/21) |