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「有希ちゃん、何読んでるの?」 いつもと変わらず窓辺の椅子に腰掛けて座る有希の横に立ち、は声をかける。部室に入った時にする挨拶にも視線でしか返さない、そんな彼女が自分と会話などを続ける訳がない、心のどこかでそう思いながらも、は聞かずにはいられなかった。 パタンと本を閉じる音がする。その後に無言ですっと差し出された本の表紙には何とも難解なタイトルが書いてあった。少なくとも高校生が自分の意思で好んで手に取って読む類の書籍ではない、それだけは一目瞭然である。 「本が好きなんだね」 こくりと有希は頷く。と有希しかまだいないこの空間の静けさに彼女の銀の髪は見事に存在ごと溶け込んでいる。が窓の外を見ると、野球部の練習の様子が見え、掛け声が聞こえてくる。部活棟から辛うじて視認出来るほどに離れた場所であるはずのその音がまるで隣で発せられているかのようにはっきり聞こえる。それほどに室内は静寂に包まれていた。この静寂は決して嫌いではない、しかしながら同時に息苦しさも覚えて、早く別の部員が来ることを望んでいる彼女がどこかいたのも事実であった。 「貴女は読書は好き」 静けさを振り払うように出された声に導かれるように窓に向けていた目を離す。有希の方から会話を続ける糸口を広げるとは珍しい、とは思った。疑問符すらつけられていないように感じるほど抑揚のないその声色に驚きを極力出さぬように声の主を見下ろすと、朝の湖面のような静かな目に射られていることに気づく。 「うーん。有希ちゃんみたいに難しいのは読まないよ?強いて言うなら私はファンタジーが好き、かな」 良い魔法使いが悪い魔法使いとか悪い王様とか恐竜とかをドーンってやっつけちゃうやつとか! 身振り手振りをつけて話すが有希はこれと言った反応は示さない。反応はないがただただを見つめている。まるで心まで見られているような、そんな居心地の悪さを感じては「ゆ、きちゃ、ん?」と搾り出すような声で彼女に問いかける。 「それは貴女自身のことだから?」 ドキリと胸が鳴った。この音が彼女まで伝わったのではないかという不安。そして、彼女は今何と言ったのだろう。まるで異国の言葉を聞いたかのように、頭の中で彼女の言葉が理解出来ない。口の中が乾く。辛うじて、「…どうしてそう思うの?」と聞くだけでいっぱいいっぱいだった。まるで全てを見透かすようなあの静かな目を見つめ返すことは出来なかった。 「あくまでも推測」 「…そう。珍しいね、有希ちゃんが推測で何かを言っちゃうなんて」 あっさりと自身の発言理由を述べた有希に、珍しく饒舌な彼女への驚きか恐怖か、少々喧嘩腰のような口調で言ってしまったが、出てしまった言葉は撤回出来ない。見る限り気分を害したような様子もない。そもそも彼女の表情はとても読みにくい。幼馴染曰く時々変化があるのがわかるというが、同じだけ付き合いのあるでも、有希の表情に変化はあまりわからなかった。 「そんなことはない。ただ、私の思考がそう導き出したから声にしただけ。気を悪くしたなら訂正する」 「ううん、大丈夫だよ。こっちこそごめんね。でも…ちょっと違うかな」 何がだとでも問うように有希の目が眼鏡越しにを捉える。 発言の先を促すようなその目に、は有希の目は実は何かすごい兵器なのではないか、そう思わずにはいられなかった。言葉が少ない分、彼女はその残りを視線で補って他者とのコミュニケーションをしているのだろうか。 心が警鐘を鳴らす。言ってはならない。その言葉は口にしてはならない。その言葉は、 「だって、だって私はなり損ないだから」 意味がわからないとでも言うように有希はこてりと首を左に傾ける。 そう、私はなり損ない。は自身をあざ笑うかのように繰り返す。遠い過去のような近い過去のような曖昧な時期に置いて来た思いが彼女の心の中を満たす。世界が揺らぐ。上手く呼吸が出来ない。ここはどこだっけ。「」私は何をしていたんだっけ。「」私は彼を、彼を利用してそれで。「」 「」 自分を手の強く掴む存在に気づいて、は大きく息を吸う。ああそうだ。ここは学校で部室で私は長門有希と話をしていて、とは先程の問いを整理すべく自分自身で問答を一つひとつを繰り返して、何とか落ち着きを取り戻した。 「顔色が悪い」 「あ、ううん。大丈夫だよ。ちょっと疲れただけかも。何でもないから、ね?」 「そう、貴女がそう言うならそうする」 その言葉を最後に互いにいつもの定位置に戻り、それぞれの日常を取り戻す。 ページを繰る音と携帯電話のボタンを押す音だけが残りのメンバーを待つ部室に響き渡っていた。 |