窓ガラスを壊さんばかりに打ち付ける雨。時々光る雷が窓ガラスに彼女の姿を映し出した。
泣いても仕方がないなんて、自身が一番わかっている。それでも目尻から溢れるそれは止まることはなく、呼吸は浅く間々ならず、そのことによる酸素不足で頭の端が鈍く霞むような感覚になっていた。何より鼻水が洪水のように溢れてきて今の自分を客観的に見たとしたらそれはそれは汚い女にしか見えないだろう。時々窓ガラスに映る自分の姿にげんなりとしながら、は自身の背後、ドアに寄りかかり腕組みをしてこちらを見つめる男の姿をガラスで捉えながら言葉を投げつける。

「………私のことを見てたって何も起こりませんけど」
「ん?そんなのわかってるよ」

ニコニコと今のには癇に障るだけでしかない笑顔。いつでもいつでもこの男はそうだ、と彼女は思う。何があっても、何にあっても、兎に角笑っているのだ。笑顔の壁。笑顔による防御。最大にして最高の自己防衛手段。あの笑顔があるからイヴァンは誰も近づけないし、同時に誰にも近づかない。それが世界の理だと言わんばかりに彼は徹底して守り続けていた。

「泣いたって何にも変わらないよ」
「そんなの!…そんなの自分が一番わかってます」
「へぇ、わかってるのにするんだ?」

愚かだよね、それって。言外に含まれた意味は容易に汲み取れた。

「イヴァンさんはいつだってそうだ」

止め処なく流れ続ける涙を乱暴に拭い、はイヴァンの方へ体を向ける。かち合った視線は外さず、一度大きく息を吸った。すると脳に酸素が行き渡り、霞んで今までは見えなかった思考が鮮明に輪郭を捉えられた気がした。
彼は寄りかかったままの姿勢を変えることなく、顔だけを先程よりやや上げ、彼女の動きに反応する。

「貴方はいつだって何もしないし、してくれない。だから私は貴方には何も出来ない」
「ギブアンドテイクってこと?それでいいんだよ。僕は君からは何も望んでいない。だから何も与えない。だって僕はいつだって独りだ、」

まるで自身を嘲笑するような発言には眉をしかめる。

「仮に孤独になろうとも、人は一人でいることに慣れる」
「ああそうだね」
「でもまた一日でも他人と過ごすと、再び一人でいることに慣れなければならない」
「…、何が言いたいの?」

試すような視線。その奥に幾分かの怯えが含まれていたように彼女は感じたが、敢えてそれは面には出さなかった。

「独りになるのが怖いから、独りでいる。一度知った幸せは手放すのはさぞ苦しいでしょう。だからこそ貴方は敢えて常に独りであろうとする」

疑問ではなく断言を突きつける。イヴァンにとってはどんな剣よりも鋭く、しかし同時に恐ろしいほどに脆いであろう武器。それをは彼の喉元へと突きつけた。

「別に、別に僕はただ、」
「何ですか」
「ただ、近くにいて君が溶けてしまったらどうしようって思ってね、」

返ってきたのは彼女が想像していた以上に淡く優しいものであった。同時に脆い。幻想のような捉えどころのない儚いもの。

「雪じゃないんだし」
「雪じゃなくても、溶けちゃうかもよ。僕が気づいた時には溶けて消えてなくなっちゃうかも」

言葉の最後の方は段々と弱弱しくなっていた。
嗚呼どうしてこの男はこんなにも不器用で優しいのだろうか。孤独を知っているからなのか、孤独を知らざるを得なかったからなのか。先の一度の深呼吸だけでは未だ頭は上手く働いていなかったらしい。大きく読み違えていた結果に彼女は気が抜けたように息を吐く。

「イヴァンさんともあろう方が…下らない」
「…へぇ、、言うようになったね」

至極面白そうに目の前で笑う男に、彼女はただただ感嘆するしかなかった。と同時に悲しくも思う。どう足掻いても自分はこの男の真意も本音も手にすることが出来ないのであろうと。

「独りになるのが怖いから、独りでいる」
「違うよ。独りでいるのが気楽だから独りでいるんだ」

そう言い切ってイヴァンは姿勢を起こし、先程まで寄りかかっていたドアのノブへと手をかける。
その背中はこれ以上の質問は受け付けない、そう叫んでいるかのように彼女には思えた。

「さ、そんな下らない問答をしている暇があるんだったらさっさと戻るよ」
「言われなくたって」

手はノブにかけたまま振り返ったイヴァンを見て、置いてかれる心配はないと判断したらしい。音も立てず、毛の長い絨毯にやや足を取られながらもは彼の元へと近づく。

「言われなくたって、貴方の傍、離れるつもりありませんので」

ついでに溶けもしませんよ。廊下で呟いた言葉は思いの外響いた。後ろなど歩いてやるものか、とは思いながらイヴァンの横へと並ぶ。後ろなんて歩いていたら、自分が消えそうになった時にこの男は気づかないだろうし、気づかなかったことを嘆き悲しむに違いない。違いすぎるはずの歩幅は何故かちょうどいいものであった。

「そう、それは楽しみ」
「ええ。私が近くにいることで、私が消えて独りになってしまった時にイヴァンさんはものすごく苦しまなきゃいけないんですからね。それはそれで滑稽な光景でしょうから是非拝見したいですが」

先までの泣いていた姿などどこへ行ったのか。ケロリとした様子で吐露したにイヴァンは小さく目を見開く。

「やっぱり君、言うようになったね」
「それはどうも」

余計なことは言わぬがいい。そう思って彼女はただそれだけを返した。
廊下の奥の奥、暗い暗い見えない道の先、多くの人間が待っているであろう重いドアの向こうにのみ意識を集中する。

「さっきの答えだけどね」
「?はい、」
「僕は他人のため何かに優しくなんて出来ない、僕は僕だけが幸せならそれでいい、んだ、」

そう言ったっきり、イヴァンは細められた視線とともに彼女と同じく前方へと意識を集中させる。