手は震え、足はカタカタと情けない笑い声を上げている。
寒い。寒すぎる。そう声に出そうとはするが、唇が震えてその声すら上手く出すことが出来なかった。

突然列島を襲った寒波はたまたま来日していたイヴァンとそんな彼に無理矢理外へと連れ出されたの二人に容赦なく襲い掛かった。朝に寝ぼけ眼で彼女が観た天気予報では、最近人気らしい女性キャスターが可愛らしい笑顔で、「冬らしい一日」という何とも曖昧かつ微妙な表現をしていたが、この状態は「冬らしい」という言葉に当てはまるものなのだろうか。普段よりも大幅に低くなった気温にコートの裾を巻き上げんばかりの横風、ふとショーウインドーに映った見事なまでに林檎色な己の頬。
少なくとも、「冬らしい」と言うよりは、「冬の中の冬」とでも例えた方が適切であろう。そう結論付けたのち、は大きく息を吐いた。溜息が白く形を取って表れる。それですら寒さをより強調させるだけのものであった。

「どうしたの?そんなに溜息なんてついちゃって」

もしかして、疲れた?などといかにもこちらを気遣う風な台詞が頭上から降ってくる。
声の主へちらりと目だけを向けると、ニコニコという効果音がぴったりなイヴァンがのことを見下ろしていた。体格差故仕方がないとは言え、今の彼女にはその仕方がないことですら苛立ちを増長させるものにしかならなった。

「…あの、」

意を決して声に思いを乗せる。唇が微かに震えているのは寒さのためか、それとも相手に物怖じしている自分がいるからか。

「私、寒いんですけど」
「そう?僕は全然全くこれっぽっちも寒くないよ」

彼女の決死の覚悟を意図も簡単に否定したイヴァン。彼女の目の前に彼のマフラーが風に揺られて、を嘲笑うかのようにひらひらと踊るかのように舞っている。
そもそもこんな状況になったのは隣にいるこの男のせいだ。突然尋ねてきたかと思えば、「ねぇ、折角だから一緒に遊んでよ」と支度もそこそこに外に引っ張り出されてから早数時間。あちらこちらへと引っ張りまわされたの体力は限界であった。それよりもこの寒い時期に薄手のコートのみ、という何とも心もとない防寒装備で外にいることは、今日の「冬らしい」天気には無謀であった。
猫だって炬燵で丸くなるのだ。私だって炬燵で丸くなって何が悪い。ぬくぬくと炬燵と愛を育むつもりだったのに、そう心の中で悪態をつく。あくまでも心の中であるのは、多分彼女が小心ゆえではないと彼女の名誉のためにも付け加えておこう。あくまでも多分、ではあるが。

「そもそも…そもそもなんですかこの長いマフラー!」
「ん?」
「ん?なんて可愛らしく言ってもダメですよ!首を傾げてもダメです!」
「そうは言われてもなぁ」
「うー暖かそうだし、長いし、暖かそうだし、兎に角イヴァンさんだけズルイ!」

殊更暖かさを強調したかったのか、発言が被っている部分があるのもお構いなしに、は自らの寒さを晴らすが如く勢いよくイヴァンのマフラーを引っ張る。が、下へと結構な力で引っ張られているのに彼は全く痛くも痒くもない様子であるばかりか、当の本人は非常に楽しそうであり、そのことが更に彼女を苛立たせた。

「大体なんですか、突然来たと思ったらいきなり「外に行こう」って引っ張り出すだなんて」
「だって本田君は忙しそうだったんだよ。僕の上司は遊んできて良いって言ってくれたから、折角の日本を満喫するのに案内役が欲しかったし」
「し、仕事して下さいよ…」

この国、本当に大丈夫なのか。そう彼女が思ったかどうかはさておき、

「それに本田君にを貸してって言ったら「どうぞどうぞご自由に」って言ってくれたよ」
「!?ほ、本田さんめ…!」

諸悪の根源が見えた気がした。

そんなやり取りの最中に街灯がぼんやりと光っているのが目につくようになってきた。季節柄太陽が姿を隠すのが早く、出てきた頃にはやや明るかった空ももう既に暗くなってきていた。あてどなくブラブラと二人で歩いていると、寒いとさっきから言っているにも関わらず彼が指差す先にはアイスクリームチェーンのショップがあり、ジト目でそちらを見つめるをこれまた面白おかしそうに彼はけたけたと笑う。

「イヴァンさん、楽しんでますね」
「ああうん、それはもう。のお陰だね」

含みがあるような気がするのは彼女が毒されているからであろうか。

「まだ寒い?」
「当たり前じゃないですか、寧ろさっきより寒いですよ」

さも当たり前だと言う顔では答える。己の頬へと手を当てると、一瞬ひんやりとしたかと思えばあっという間に手の温度を奪っていく。交じり合う温度。頬と手の温度が交じり合って、重なり合って、互いに近くなる。手は冷たく、頬は温かく。まるで手が頬を思いやって温度を分け与えてやっているかのようだ。

「ふーん」
「ふーんじゃないですよ。私と一緒にいたいんだったらこう寒さを共有するとか、ですね、ちょっと優しさを見せてくれるとかですね、」
「…素直に貸してって言ってくれたら貸すのに」

彼の台詞に一瞬の躊躇いがあったのは何故だろう。彼なりの意地悪なのか、それとも別な意味があるのか。は図りかねた末に立ち止まる。数歩歩いた後、不思議に思ったイヴァンが振り返ったことで出来た距離感のお陰で、この日初めて彼女は真正面からしっかりと彼の表情を捉えられた気がした。 何かに縋るような何故か今にも泣き出しそうな彼と目が合う。そんな顔をさせたかった訳じゃなかったのに。そうは思っていても上手く言葉にすることが出来ずにただ見つめるだけであった。

「…」
「ねぇ、どうする?」

軽く持ち上げられたマフラーの先端と男の顔を交互に見遣る。

「貸して、くれるんですか?」
「そんな意外そうに言わなくても」

やっと出てきたの言葉に心外だとばかりに苦笑を顔に表す。

「あ…でもちょっと待って下さいね」

そう言っては先程あいた距離を一気に埋め、差し出されていたマフラーの端を引っ張る。どうやら取れということらしい。そう解釈したイヴァンが首の周りを一回り、二周りとするするとマフラーを解いていく。三周目へと手を動かそうとしたところではおもむろに彼の手を止めさせ、己の首へとぐるぐると巻きつけ始めた。

「…?」
「よし、オッケーです。有難く半分お借りしますね」

半分、その言葉にイヴァンが些か驚いた顔をする。

「何ですか、私何か変なこと言いました?」
「いや、別に…ただちょっとビックリしただけだよ」
「なら別にいいですけど…。大丈夫。あなたは、一人じゃないですよ」

だって、一緒にこうやって共有出来てるじゃないですか。巻いたマフラーに顔を半分以上埋めたままポツリと呟かれたその言葉は、注意して聞いていなければ今日の強風に掻き消されてしまうくらいに小さく弱いものであった。
それにも関わらず、最初にマフラーを引っ張られていたことよりも強力な何かの力で引っ張られているかのように、彼はまるで鎖に繋がれてしまったかのように動けなくなっていた。

「何ですか?イヴァンさん」

先程までの泣き顔が嘘のようにきょとんとした顔のイヴァンに、が疑問を投げかける。

「ううん。が小さすぎて二人でマフラーをすると、」

何だか君、鎖に繋がれた犬みたいだよ。その一言には、「い、犬で結構!イヴァンさんは冷たいけどイヴァンさんのマフラーは暖かいなー!」などと言いながら大股で前進し始めた。が、結局のところ、鎖ではなくマフラーで二人は繋がれているのだ。 彼女が進めばその分彼も引っ張られていく。そんなことにも気づかない彼女を見てついでに手も繋いでみようか、とイヴァンは思いつく。気づかれぬように、まるで悪戯をしようとする子どものような笑みで、先を行く彼女に向かってイヴァンが手を伸ばし始めた。