レンズ豆のサラダにトマトの肉詰めにトルティーリャ。などなどなどなど。それら以外にも目の前に広がる料理の数々には目を輝かせ、無意識に唾を飲みこむ。鼻腔を擽る誘惑の香り。そして視覚に訴えかける色とりどりの食材たち。それらを言葉なく見つめているに、本日の料理長アントーニョは誇らしげに胸を張りながら彼女の隣に並んでいた。

「す、すごいですね!アントーニョさん」

やっとのことで彼女が発した言葉は、ありきたりな賞賛であった。しかし、それでもアントーニョは非常に満足した表情を浮かべ、極上の笑みで彼女の言葉に答える。

「そうやろー。みんなちゃんのために作ったんやで」

遠慮せんとたんと食べてな、その言葉と共に引かれた椅子には腰掛け、そして「いただきます、」とどこか高揚した気持ちを抑えるような様子でゆっくりと目の前の料理に手を伸ばす。隣に腰掛けた男はそんな彼女の様子を、微笑ましく見つめる。

一口。また一口。そして更に一口と彼女は手を動かす。
胃袋を支配することが心を支配する。人種など関係なく、これは定説なのではないだろうか。人間の三大欲求を満たす重要な食を抑えられれば、どんな人間でもイチコロだろう。そう彼女は思う。
アントーニョが作った料理は、どれもこれも口へと運ぶと、その味は文句のつけどころの全くない絶品であった。何より腹を満たすのは勿論、心まで支配してしまうその味。まさに文字通り虜というべきか。
幸せそうな顔をして黙々と料理を頬張る少女に、男は料理を取り分けたり飲み物を差し出したりと甲斐甲斐しく世話をする。さながら雛に餌を与え続ける親鳥のような、そんな甲斐甲斐しさと愛情に満ちた雰囲気である。

すると突然。それまで止まることなく動かし続けていたフォークを彼女は手にしていた皿を置き、その上へ休ませた。暫し置いたそれらを見つめる。無言のまま口に残っていた料理の咀嚼運動を続けていた彼女のその改まった顔を、アントーニョは不思議そうな表情で見つめる。

ちゃん?なんや、食べれへんもんでもあった…?」
「い、いいえ!どれもこれも美味しいです!」

首が取れんばかりに振って少女は男の言葉を否定する。
どうやら彼の抱いた不安は杞憂であったらしい。が、美味しいと言ったものの食事を未だ中断したまま再開する様子のないに、再び言葉をかけようとアントーニョが口を開くと、

「あの、…アントーニョさん、良いお嫁さんになれるなって思ったんです!だって、こんなに美味しい料理が作れるんですもん!」

相手から投げかけられたのは意外な言葉。
自分の発した言葉の意外性などに少女が気づくはずもなく、は再び皿を持ち、停止していた手に再びフォークを握った。その手が向かうは大きなトマト。艶やかな赤をしたそれをぶすりと刺し、幸せそうな顔で頬張る。そして、もぐもぐと咀嚼しながら先程と同じ言葉を繰り返す。
ここに彼女の祖国がいたら、「口の中に物を入れて喋るんじゃありません!」などと怒られるに違いないが、今この場にいるのはアントーニョとの二人だけだ。マナーとしてはなってないのは百も承知ではあるが、この気持ちは思ったことを思ったままに、そしてすぐに伝えるべきだと思った彼女はすぐに口にした。

呆気に取られた様子でアントーニョはを見遣る。不安が杞憂だったどころか、差し出された言葉は極上の褒美であった。美味しいと、言葉でもフォークを動かすその行為でもしめす彼女。その様子に、アントーニョは呆気に取られたが、次の瞬間にはお腹を抱えて笑い出す。

「な、なんですか…!」
「やー、ちゃんはおもろいなぁ思って」
「は、はぁ。そうですか、」
「でも、ちゃんにそう言うてもらえるのは光栄やけど、嫁はなぁ」
「えっ。お嫁さんはダメですか?」

意外そうには見つめる。
今は「主夫」なんて言葉があるくらいだ。性別と漢字の差異はあるが、重宝される存在になるという点では違いないはずである。
こんなに良い料理が作れて、そして甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる人を何と例えればいいのか。必死に該当する単語を探し出した彼女は、「あ、」と呟きおずおずと言葉にする。

「じゃぁ…お母さん?」

声に出すと思った以上に妙にしっくりきたそれに、彼女は自分の言葉に納得したようにうんうんと頷く。
自分の祖国といい、目の前の彼といい、どうしてこうも国である彼らには母親気質な者が多いのか。矢張り生きた年月が成せる技なのか。

「ちょ、堪忍してー!そっちのが凹むわ!」

納得した様子の彼女に、アントーニョは必死に食らいつく。
流石の彼もその地位はもっと遠慮したいらしい。どうやらより方向性を間違い始めたらしい彼女に彼は、「堪忍してー!」と泣きマネをする。そんな様子につられては笑い出した。二人の陽気な笑い声が窓の外へも小さく漏れる。

「あぁでも、どっちかっちゅーと、」
「?」

ふいに止められた笑い声と言葉。彼女自身も笑うことを止めて横目でチラとが彼を見つめると、隣の席に腰掛けたままこちらをニコニコと見つめる男と目が合う。無意識に体勢を男へと向けると、形の良い口が開かれる。

「俺は嫁はんよか旦那はんになりたいわぁ」
「はぁ」

国に結婚願望なんてあるのだろうか。そこは知らぬが、目の前の男としての希望としてはそうらしい。彼女が暢気にそんなことを考えている中、尚もアントーニョはニコニコと少女を見つめ続ける。

「アントーニョさんなら良い旦那さんにもなれますよ。ご飯美味しいし、親分って言われるくらいに面倒見もいいですし。私が保証します」
「さよか!でも俺、ちゃんが嫁はんになってくれたら、良い食べっぷりやし可愛いし、旦那はんでもめっちゃ張り切って料理するで!」
「…あ、あの!」
「ん、どないした?」

ふいに握られた手に意識が集中する。
何より。まるでプロポーズをされたかのような先の言葉にはビシリと音を立てるようにして硬直した。

「おっ。顔真っ赤やでー」
「な、何でもないです!ぎゃっ、ほっぺ抓らないで下さいよっ」
「ほーれよく伸びるー。ほんま、トマトみたいに真っ赤でかわえぇなぁ」

食べてしまいたいわ、そう続けた彼に少女の動揺は最高潮に達し、は咄嗟に持っていたフォークを目の前の男の口目掛けて突っ込んだ。男の口に放り込まれるトマト。暫しの咀嚼の後、「流石俺の料理や!ちゃんも、ってむぐっ」再び男の口へと許可なく料理を運ぶ。それが繰り返されること数度。

少なくとも。少なくとも彼が咀嚼している間は恥ずかしい台詞の数々を聞かなくて済むはずだ、などとそこまで彼女が考えて男に料理を食べさせていたかは誰にもわからない。そして、そんな二人の様子は端から見たら「甲斐甲斐しく料理を食べさせる少女」と、「それを幸せそうに頬張る男」という姿にしか見えぬということに自身が気づいていないことと同様に、だ。