何となく心がざわついて目が覚めてしまった深夜。
気紛らわしに水でも飲もうかとが台所へと向かうと、窓から空を見上げている本田の姿を見つけた。寝ぼけていて見間違ったのかと己の目を擦るが、その姿はぶれることなくそこにある。締め切り前以外は早寝早起き、健康万々歳な彼がこんな時間に起きているなんて珍しい、そう彼女は思って声をかけようと口を開いたが、すぐにその口は閉じられてしまう。

窓から入ってくる月明かりに照らされる青年の顔は、どこか影を帯び、その目はほの暗さをたたえていた。今にもそこから消えてしまいそうなほどに薄い存在。
あと数歩も足を動かせば触れられる距離なのに、心はどこか遠い。手の届かないところにいるような彼の雰囲気には戸惑い、伸ばしかけた手が行方を決められず何度か空を切る。指先は油を注し忘れた機械のようにぎこちなく、足は縫い付けられたかのように動かせない。

「…本田さん、眠れないんですか?」
「!…おや、さんでしたか」

いつまでもこのようなことをしていても埒が明かない、そう思って少女は意を決して声をかけた。震えそうになる声色を押さえ、至極普段通りの気軽さを心がける。
声の向こうにいる人物、本田は今まさに少女の存在に気づいたかのように驚き、そして苦笑とも微笑ともつかない表情を浮かべての方を見た。

「星、見てたんですよね。綺麗ですね」
「えぇ、本当に。ここ最近雨ばかりでしたから」
「そうですね、」

先程まで動かなかったの足も気づくと動いていた。体中の糸を切り落とされ、自由を得たばかりのマリオネットようにぎこちない足取りながらも本田の隣に立つ。そして、共に窓の外を夜の帳が降りきった空を眺める。
空には幾千の星たちが輝いていた。月の柔らかな光が地上に降り注ぎ、窓ガラス越しに二人の顔を照らす。

「あの、本田さん、」
「どうしたんです改まって」

シャンと背筋を伸ばし、改まった様子で己を見つめるの様子に、本田は怯んだように答える。
降り注ぐ光を、輝く星の瞬きを、そして空を見続ける彼の横顔をこっそりと見る度に心が少女の締め付けられそうになる。先程も同じことを思ったが、矢張り近いようで遠い。隣に立つ祖国は今この星空を眺めながら一体何を考え、何を思っているのか。

死んだ人はその後星になる、そんなどこでもよく聞く言葉が頭をよぎる。
最初に聞いたのはもっとずっと小さな子どもの頃だ。子どもながらに何故星になるのか、空の上に何があるのか、何より空に行くなんて飛行機がなきゃ無理なのに、などとリアリストなのか、それとも子どもながらの残酷さと無粋さが交じり合ったことを考えたりもしたものだ。

もし仮に本当に人が星になるのだとしたら。
星の光が届くのに長い歳月がかかるのだから、今見ているそれは、ずっとずっと遠い昔に亡くなった人の光が今やっとここに届いているのかもしれない。それは長く生きる彼の知る人なのかもしれないし、知らぬが愛した国民たちなのかもしれない。

「いえ、生きててくれて有難うって、今、すごく言いたかっただけです」

ふいにの口から出た言葉。それに本田は零れ落ちそうなほどに目を見開き、そして、息を飲む。
彼女の一言の後に、交わす言葉は一切なくなった。静寂のみが二人を包み、時折外から車の通り過ぎる音が遠くから聞こえる。そしてまた静寂が訪れる。

「国の私にそんなことを仰るなんて、やっぱりさんは変わった方ですよ」

そう言いながら見慣れた笑顔で笑う彼の声が少し震えていたことには気づかないフリをする。
長く生きた彼のことなど、自分は一部も理解出来ていないかもしれないし、理解なんて一生出来ないかもしれない。それでも、今この瞬間に隣で共に空で小さく光る遠い時間の人々の輝きを見ることは出来る。
今はそれしか出来ない。でもそれだけでいいのかもしれない。