日記をつけようと思ったのはここに来た日の夜だったと思う。私が本田さんにした最初のお願いは、「ノートを…いえ、紙の切れ端でも構いません。私に与えて下さいませんか」というものだった。
それからもう幾日も幾月も経ち、最初のノートであるあなたともお別れをつねなければならなくなりました。最初に会議に着いていったこと、玄関を開けたら何とも大きな外国人がいて硬直した私を本田さんが隣でおかしそうに笑っていたこと、アーサーさんがこの家に泊まりに来た日のこと、こちらに来て初めて泣いたこと、誰にも言えなかったこと、漠然とした不安、心の痛み、向こうの世界を徐々に忘れていく喪失感。勿論返事などありませんでしたが、私はあなたに手紙を書くようなつもりでずっと書き続けていました。私の思いを何も言わずに受け止め続けてくれたこと、心より感謝します。

私は強くなりました。夏のあの日とは比べ物にならないほどに。
前の世界に戻ることを諦めた訳ではありません。ただ、ここで生きていこうとする決意はあなたのこの最後のページにたどり着くまでの期間に抱くことが出来ました。私はここで彼らとともに生きていこうと思うのです。それがどれくらいの期間かもわかりません。向こうに戻れるのかどうかもわかりません。仮に向こうに戻れてもどうなるかはわかりません。多分国家である彼らにとって私と一緒にいる時間は、瞬きをするようなそんな一瞬であるのでしょう。それでも、それでも私は彼らと共に色々なものが見たいと思ったのです。役に立つかはわかりません。けど、せめて私は彼らに近い"人間"という存在であり続け、彼らをどこかで支えてあげられればと思うのです。それはおこがましいことでしょうか。

何よりもここまで私を変えてくれた本田さんには感謝をしなければなりません。彼は父のような母のような兄のような姉のような、そんな方です。私よりもだいぶ何回りも大人であるのに、時々まるで弟妹でもいるかのような気分になる時もあります。それでも、大きな存在感で私を包み込んでくれる方です。時々彼が背負うものを無知ながらも感じてはその身を案じてしまいますが、彼とともに生活をしていると、時々本田さんが人ではないことを忘れてしまいそうになります。
国と言ってもいつ消えるか分からない、とフランシスお兄さんの言葉もあります。つまり彼らも私と同じ有限の時を生きる存在なのです。だからこそ、私は彼らを同じ人間であると思って接しています。これからも接します。本田さんは、












さん?」

そろそろ仕事にも目処がついたからと本田が就寝の準備をすべく廊下へ出ると、の部屋に明かりが漏れ出ていることに気づいた。時は既に丑三つ時を過ぎている。流石に夜更かししすぎではないかと思い、部屋の襖を軽く叩いて返答を求めるが特にこれと言った返事はなかった。

「おやおや」

一言断りを言ってから戸を引くと、そこには文机に突っ伏し、ノートを下敷きにして何とも幸せそうな顔をして眠るの姿があった。
彼にはそのノートに見覚えがあった。最初に、そう本当にが来た最初の頃に乞われて渡したノートだった。彼の部屋の隅にあった何の変哲もない大学ノートを彼女はまるで生涯の友を見つけたような、愛しそうな仕草で抱きしめ、何度も何度も礼を述べる姿が未だに彼の目には焼きついている。あれから一体どれほどの月日が経ったのだろうか。
最近彼女の顔に影が少なくなったように本田は感じていた。それは諦めではなく、新たな決意を秘めた顔だ。人間と言うのはつくづく怖いものだ、と本田は思う。何年経ってもその思考や行動は読みきれるものではなく、良くも悪くもいつもこちらの虚をついた行動を起こしてくれる。恐るべき速さで知識を吸収し、行動に移し、失敗をバネに次のものをどんどんと考えまた行動に移し失敗して成功して―――その繰り返しだ。
自分にとっては一瞬の、それこそ瞬きをするような時間でもその中で彼らは精一杯生き、そして消えていく。そんな人の子らを見続けていると、矢張り彼らには愛情と呼ぶべきか、何とも言えぬ心を持ってしまうのである。それは自分が国だからかそれとも人の形を取っているからなのかは彼自身にもわからない。しかし、それでもこの気持ちに偽りはないのだ、とどこか確信めいた気持ちを本田は抱いていた。

「おやすみなさい、さん」

人の子というのは私には理解出来ぬ可能性を秘めているのかもしれません。
彼の願いにも似た呟きを聞いたものは居らず、そっとタオルを彼女の肩にかけた後に卓上ライトを消し、静かに襖を閉めた。