「こら、さん。そんな格好でいて。はしたないですよ」

茹だる様な暑さに耐えられなくなったが部屋の中心でうつ伏せで肢体を投げ出していると、その行為を咎める声が頭上から降ってきた。

「本田さん…暑いです溶けます汗が気持ち悪いです…」
「それは日本の夏なのだから仕方がないですよ。お若いのに情けない」
「もうこれに若さとか関係ないですって…ってかもう涼しくなるなら何言われても耐えますんで…」

先頃話題の温暖化のせいか、今日の気温は例年にないほどに上昇するというのは朝のニュースキャスターの弁であった。しかし、流石にここまでだとは自身も思っていなかったらしい。
いくら夏用にあつらえられた制服とはいえ、セーラー服は通気性が微妙なのだ。夏は暑く、冬は寒い。学生らしさというイメージ重視、ビジュアル重視なその服の機能にほとほと疑問を感じてはいたが、も人並み程度の愛着は持ち合わせていたので、何となしに着ることが多かった。今日の場合は単に暑さで働かなくなった脳が考えることを止めて選び出した服を無抵抗に着ている。それが制服だった。ただそれだけなのではあるが。

さん」

吊り下げられた風鈴は決して鳴ることはなく、時折入ってくる日の光に反射してキラキラと自己主張をするばかりである。役目を果たすことが出来ない風鈴のために蝉の鳴き声だけに支配された室内に、再び咎めるような言葉が彼女へと降り注ぐ。しかしその声色は咎めるというような色はなく、苦笑を含みながらも、どこか慈愛に満ちたものであった。

「ほら、先日買い物へ行った際に買った服があったでしょう。それを着ればいいじゃないですか」

確かに彼と共に買い物へ行って当面必要であろう服などを購入してもらったのは事実だ。しかしそれを着に行く気力すら今の彼女にはないのだ。普段の無気力さとはまた違う、別の意味での倦怠感が彼女を覆っている。

「あー…ありましたねぇ」
「では着替えては」
「…暑くてもう動けません」
「おやおや仕方のない方ですねぇ…ではさん、そんな貴女に私からいいものを差し上げましょう」

さぁ一度起きて下さい、そんな一言にはのろのろと顔を上げる。暫く視線が宙をうろうろと彷徨っていると、彼が手にしていた盆の上にほどよく汗をかいたコップとつやつやと輝くオレンジ色のゼリーがあったのに気づいた。この暑さの中でそこだけが別世界であるかのように存在感を放っていたそれを見た瞬間にはガバッと起き、乱れたスカートもそこそこに本田の持っていた盆へ己の手を添える。

「………おぉー!陣中見舞いー!」
「思うんですけど、さんって日本語の使い方が微妙に間違ってますよね?」

やはり若者は言葉の乱れが深刻なのでしょうか、と眉間に皺を寄せて呟く本田には先程までの暑さにやられていた顔とは打って変わった、ニコニコと締まりのない笑顔で視線はゼリーを捉えたまま彼に言葉を返した。

「本田さん、今の発言すごく爺くさいですよ」
「ええ。だって私は本当に"爺"ですから」
「今度からおじいちゃんと呼んでも?」
「私は構いませんが、そんなことを仰る方にはこれは差し上げられませんね」

笑顔でさっとの前から涼味満点のおやつを遠ざけた本田に「お代官様、ご無体な!」と矢張りどこか使い方の間違った言葉をを吐いた。
遠くで蝉の生を主張する声が聞こえる。そして懲りずに謝り倒すとそれに笑う本田の声。近頃何年ぶり何十年ぶりかに本田邸には話し声と笑い声が絶えない日が続いている、そんな声が近所の住人から聞かれる日もそう遠くはないはずだ。