|
事が動き出したその日。彼女の運命が変わった日。全てはいつも通りだった。 いつも同じ時間に目が覚め、いつ見ても変わらぬ制服を身に纏い、朝食もそこそこに自宅を出る。そして馴染みの教室で変わらぬ面々とともに授業を受け、昼食を食べ、掃除をして数年間使い続けた錆びかけの自転車にまたがり帰宅する。 そう、確かに何も常とは変わらずに動いてたようだった。 しかしは日常に飽きていた。平凡に飽きていた。何でもいいから刺激が欲しい。何か非現実的なことでも起きればいいとすら思った。例えば宇宙人に遭遇とか、机の引き出しから寸胴のロボットが出てくるとか、空飛ぶ箒に乗った少女がやってくるとか。ミサイルが飛んできてなどという物騒なことを考えないだけマシだが、しかしそれはどちらも無駄な考えであることに変わりはなかった。現実的に考えて有り得るはずもない出来事への幾多の思いは、自身の現実主義的フィルターによってろ過され、何事もなかったかのように彼女の思考には透明な、そして無味な諦めという気持ちを浸透させる。 無味無色な気持ちを抱えながらも自転車をこぐ足は止まることはなく、気づけば自宅付近のトンネルへ身を滑らせていた。蝉の生き急ぐ声を背に自転車は無機質に目的地へと進んでいく。あと数分もすればエアコンの効いた快適な自室へと到着するが、はこのトンネルの湿っぽいような冷気が好きだった。天然の冷蔵庫と言えば聞こえはいいが、要は何の変哲もないコンクリートによる日光の遮断が理由の冷気であろう。それでもこの涼しさが暑さで茹だった夏の頭をすっきりとさせてくれる気もした。また、トンネルという道具が日常から別の世界へと自身を繋げてくれるようなどこか浮世離れした場所のイメージを抱かせた。 「トンネルを抜けるとそこは―――なーんて、ね」 何となく声に出した過去の文豪が残した一節が湿ったトンネル内に響く。 夏真っ盛りの今現在にトンネルの先が雪景色であったならそれはそれは素晴らしいものだろう。―――ただし、一瞬で半そでのセーラー服である己の身を案じなければならなくなるが――― そんなことを考える内に短いトンネルは終わりに近づき、徐々に近づいてくる出口の明るさに暗闇に慣れかけていた目がくらむ。 今が昼間であるということを考慮してもおかしなその明るさに思わずは目を細めてブレーキを踏み、足をペダルから地へと移動させた。 最初に感じた違和感は足元にあった。コンクリートのその硬さではなく、どちらかと言えば草を踏みしめたような感触であった。 が細めた目をそろりと開け、何となしに足元を見るとそこは畳だった。畳を踏みしめている自身の黒のローファーがそこにはあった。本来畳は道路上にはないはずである。何より彼女が走っていたのは紛れもない舗装されたコンクリートの道だったのだから、有り得ない出来事だ。 「あの…どちら様ですか…?」 そして次に違和感を感じたのはこの声。 声のした方を見るとそこには純和風の室内で白の襖を背に盆を持っている和服姿の青年がいた。黒の髪にどこか人形めいた表情の読めない顔をしている。手にした盆の上には少々汗をかいたグラスがあり、茶色の液体が注がれていた。麦茶だろうか、と思ったの喉は緊張のためか喉の渇きのためかこくりと唾を飲み込む。 その瞬間、まるでの視線に気づいたかのようにカランとグラスの中の氷が立てる音が室内に響き、音にハッと我に返ったは何を喋るべきかと考える間もなく、思いついたままに自身の口を思考に預けて声の主へと応えた。 「あ、あ、あの、わ、わたっ…私怪しいものではありません…!」 第一声に何を言ってるんだ、とはまるで客観的にもう一人自分がいるかのように自身に突っ込みを入れる。 これはあまりにも酷すぎる。逆に自分は怪しいと言っているようなものではないか。 いやしかし確かにいきなり見知らぬ女子学生が自宅に突然現れ、更に靴も脱がずに畳の敷き詰められた室内で自転車に跨っていたのなら誰だってびっくりするだろう。無論自分だって驚く。そして1と1と0の番号を電話に入力するのだ。 そんなことを考えて百面相をしていた自分を何も言わずにただ見つめるだけであった無表情の相手の顔をが恐る恐る伺うと、青年は気の抜けたような声で「そうですか」と答えて、手にしていた盆を彼と彼女をちょうど隔てていた机の上に置いた。 「でしたらよかったらお話をお聞かせ願えますか。そうですね、まずは自転車と靴を玄関に置いて来ましょうか」 促すようなしかし有無を言わさぬ色のあった一言を言った彼はに背の向けて彼の背にあった襖を開ける。チラと振り返ったその顔は表情はきちんと見えはしないとは言え、に逆らう隙を与えぬものであった。 「は、はい!あの、自転車も家の中を押していっても…?」 そうが様子を伺うように聞くと青年は初めて人間味が見えたような表情で「それは汚れるから困りますねぇ…」と眉を下げ、思案顔をしたのだった。 |