「このお馬鹿さん!何度同じところを間違えたら気が済むのですか」
「ううう…でもこれ思った以上に難しいんですって…」

ピアノを教えて欲しいとローデリヒさんの元を尋ねた。以前、世界会議の会場にあったピアノを弾いている姿に感動して自分でもその時ローデリヒさんが弾いていた曲と同じものが弾きたいと彼から曲名を聞いて楽譜もCDも買ってから押しかけたのだ。その熱意と言う名の猪突猛進さを呆れ半分だったものの認められ、晴れて指導をしてもらうことになったのだが、如何せんピアノ自体に触ることが久しぶりすぎるあまり、たどたどしく頼りない歪な音が部屋の中で響いている。

、貴女本当に以前ピアノを習っていたんですか?」
「習ってましたよ!…ちょっとそんな目で見ないで下さいよ、一応ってつくけど本当なんですから。私の国だとピアノって子供の習い事としては標準的なものだったんですよ」
「手習いで芸術をするというの些か浅はかな気も私はしますが」
「子供の情緒教育に〜とかじゃないですかね?私の周りの女の子は結構やってましたねぇ」
「そういうものですか…」

既にレッスンを始めて数刻は過ぎているだろうか。上達の兆しがあまり見えない上に自分で指導を頼んでおきながら集中力まで切れてきた私に流石のローデリヒさんも痺れを切らしたのか、段々とポコポコと言う音が聞こえる頻度が高くなってきたようだ。

「ねぇローデリヒさん、これって難しいですね。ビックリです」

私がそういうと溜息をまたつかれた。ローデリヒさんのあんなに綺麗に弾く姿が頭にあるのだ。目に焼きついて離れないあの姿が。いけないと思いながらも自分とつい比較してしまって、自分の演奏のあまりの微妙さに目の前の楽譜が同じ曲だとは思えなくなってきた。

「音楽に簡単も難しいもあるものですか」
「ありますよ。さっきから弾ききれなかったおたまじゃくしがポロポロと零れ落ちてます。私には拾いきれる気がしません」
「はぁ。いいですか、いきなり最初から完璧に弾こうと構えるから手の動きが悪くなるんですよ。は奇跡的に基本は覚えているようだから、後は勘を思い出せばいいんです。まずはメロディだけ見本を見せますからきちんと見ていなさい」

一度だけですからね、そう言って椅子に腰掛けた私の背後からスッと手を伸ばして右手でメロディを弾いてくれる。軽やかな、華のある音が鼓膜を震えさせる。鍵盤を跳ねる指がまるで輝いているように見える。男性であるのに、骨ばっているという印象よりはしなやかな彫刻のような繊細さを感じさせる指。時々触れそうになる肩を変に意識してしまって心臓が煩い。静まれ、静まれ私の心臓!

「…、聞いてましたか」
「はっ!すいません!聞き惚れてました!」

自己と格闘している内に見本は終わったようで、呆れた声が背後から降ってきた。咄嗟に「よっ!流石ローデリヒさん!」と言うと溜息をつきながら、お茶にしましょうと言いながら台所へ行ってしまった。
注意散漫であったのを気づかれたのだろうか。溜息なんてついてたけど、きっと今頃甘いものでも脳に詰め込めと言いながら私に出すために美味しいお菓子でも用意してるに違いない。何だかんだでローデリヒさんは私に甘いのだ。